アルドアック@代々木八幡
何年も前から予約がどうしても取れず、取れても骨折してキャンセルとか、もう縁がないかと思ってましたが、一気に2回も訪問できました。
これはエストレマドゥーラ州の回。
白インゲン、チョリソの出し。我が家の理想の料理。
バスチーが出てくるのはお約束かもしれないけど、本家ラヴィーニャのよりはるかにおいしい。
パリ4
パリ3
メインイベントも終わったので、今日はせっせとお土産買い出し。
グランエピスリー。
ホテル・リッツ。改装されて明るくなりましたね。
昔この廊下で割れるような大音声で”わーたくしが、たーからづかにいたときはー”って、誰だって見たら鳳蘭だったということがありました。
ここでお茶します
大森由紀子さんの本に出ていた、フランソワ・ペレのマドレーヌ。まあおいしわね。
夕食はつましく野菜を焼いて。フランスのナス・キュウリは水っぽくないわんね。
あっという間に最後の夜だわんよ
セーヌではどんちゃん騒ぎが続いているってのに、帰らにゃいかんのか。。
また来るからねー
パリ 1: le Gabriel
気持ちよさそうね(パレロワイヤル)
チーズ調達。Tomme au foin
KL-patisserie。インスタではおいしそうに見えたんだけど、まあまずくはないけど、わざわざ行く所ではなかったです。
バター超絶おいしいわん。でも食べすぎるとお料理食べられなくなるから我慢。タッパーで持ち帰ったら怒られるかしらん。
以上がアミューズ。
前菜。看板料理のアーティショー。
« Macau » artichoke heart with sakura leaves and fresh coriander
これはおいしい。おいしいけど正直高度すぎてどうなってるのか分からん。
TOURTEAU DE BRETAGNE(CRAB FROM BRITTANY)
Naturally cooked, white peach, almond milk vinaigrette, essence of verbena
メイン。
HOMARD BLEU
Poached in the butter, sorrel and ginger coulis, vanilla emulsion
最初の一口、え?火を通しすぎ?って思ったけど、いやそうじゃない、しっかり噛み応えあるけど、プリプリ感もある。うまく表現できないので増井千尋さんの3か国語ブログを引用しますと(同じ料理の話してるのか分からんけど、きっと同じことをいいたいと勝手に解釈)
(仏)Homard cuit à la perfection, à l'opposé du fondant.
(英)This homard will definitely not melt in your mouth.
(日)オマールは分厚いステーキ感覚
フランス語ではまるで詩のように美しい表現が英→日とだんだん散文的になります(笑)。それはともかく、このレストランは増井さんのインスタで知りました。ありがとうごさいました。
COCHON DE LAIT DE BURGOS
Crispy, glazed mango and spicy green cabbage
チーズは(料理に比べると)物足りない
デセール
GRAIN DE CAFÉ (COFFEE BEAN)
Meringue, birch syrup ice cream
切るとこうなります。感服いたしやした。
お茶菓子。
いやはや、パリの美食道の奥深さに圧倒されました。もっと修行せんと、このレベルの料理は語れませんね。
ビアリッツ4
そろそろ夕食に、と外に出たら、どっしゃー。
昨日より人が多いど。
どこが道路でどこがお店かわかりません。
この騒ぎは、夏の間週に一度開かれる夜市Marchés nocturnesにぶちあたったからです。
いろんな食べ物屋さん出てます
パパもボクも真剣
アラブ菓子
パナマ帽
力こぶ出してるのはチュロスを絞り出してるところです。
こんな状態で食事できるのでしょうか。。大丈夫、昼間にカリカリ検索して静かそうなお店を見つけておきました(笑)
le Bistrot de Biarritz 。浜風がびゅーびゅーで寒いので店内に入りたいといってるのに、毛布を貸してやるから大丈夫だと無理やり外に座らされます(写真右の人見てください、毛布をまとってます)。
アンチョビから揚げ、tartare whipped cream。なかなかおいしい。
セビーチェ。ライムとマンゴーでマリネ。日本で食べたことない洗練されたセビーチェ。
鴨、Mole sauce(メキシコ料理?)、ポレンタ。これは肉がイマヒトツですが、ソースと付け合わせはおいしいね。
イカ、xipister 焼き。xipister(バスクソース)とはヴィネガー、オイル、エスペレット、ニンニクがベースの調味料とか。
デセールのババはノリノリの店員が鬼のようにラム酒かけるもんだからアルコールきつすぎて食べられない(泣笑)。
ビアリッツ3
ビアリッツの別荘めぐり。
乙女の岩から見えるので,あれは何じゃのVilla Belza。
19世紀末の建築ですが、近くで見るとモダンに改装されていることがわかります。今は10分割してマンションとして分譲されてしまったようです。
古写真のVilla Belza。すごい迫力です。
次はホテルから見えたVILLA GOÉLAND。この館は1850年代までさかのぼるらしいですが、特徴的な尖塔が作られたのは20世紀になってからのようです。
門の前まで行きました。誰が住んでるのでしょうか。数年前まではホテルとして使われていましたが今は廃業したようです。
Villa Cyrano。これもびっくりするような建物です。
しっかり運動したら、今日もMiremont。
店主とおぼしきおじいちゃんが覚えてくれていて、今日も来たんけ!とばかり両手を振って歓迎してくれました。
毎日行きますよこれは。
ビアリッツ2(歴史博物館)
ビアリッツ歴史博物館に行きました。ここは長らく改装工事中でしたが、今年から再オープンしております。ホームページはまだ工事中と書いてありますが(笑)。入場者はほとんどいないらしく、受付のおばちゃんは大歓迎してくれました。あんたらジャボネかい、サイン見て、阿部首相夫人も来たのよって(G7のときに昭恵夫人がここに来たことはニュースで知ってましたが、派手に驚いたフリをしてあげました)。
このベルエポック感満載のポスターほしいわね。お土産で売れば絶対買うのに、お土産はおろかカタログもこの博物館にはありません。
どこにでもあるルイ・ナポレオンとウージェーニー妃の肖像がこの博物館にもかかってます。
1853年に文豪ユーゴーはビアリッツ村を訪れて
Je n’ai qu’une peur ; c’est qu’il devienne à la mode この村がモードになる恐れはまったくない。
と書きましたが、11年後にナポレオン3世が宮殿を建ててしま、突然ビアリッツはモードになってしまったわけです。
ガイドブックによるとナポレオン3世はスペイン出身のウージェニー皇妃がホームシックにならないようスペイン国境に近いここに宮殿を建てたとありますが、そもそもウージェニーはバスクとは関係ないグラナダに生まれ、8歳から12歳までパリで育ちスペイン語よりフランス語が堪能だったそうで、ホームシックというのは当たらない。ビアリッツ村を選んだのはウージェニーが子供のころからに遊びに来て知っている村だったからのようです。
ウージェニーは普仏戦争後イギリスに亡命し、1920年まで生きました。スペインには帰郷したようですが、フランス共和国に帰ることはなかったでしょう。これは晩年の写真だそうです。
シシーことオーストリアのエリザベート皇后は1896年と1897年にビアリッツに滞在しています。翌年の1898年も訪問する予定でしたが、暗殺されてしまいました。この写真は黒服を着ているので皇太子が自殺(1889)した後の写真とわかります。毎朝5時に起きてオテルデュパレの庭を散策したとか。
シシーはホテルの門からキツネ狩りの出発を見送るのが好きだったと。キツネ狩りってなんのこと?オテルデュパレの門から猟犬をつれてキツネ狩りに出発する写真が残ってます(この建物は火災後だから1905年より後の写真)。1930年ごろまでキツネ狩りは盛んだったそうです。いったいビアリッツのどこにキツネがいたのか、今となっては想像もできません。
これはヴィクトリア女王です。1889年にビアリッツを訪れ、写真のロバに車を引かせて移動したそうです。手前の男の子は誰でしょうか。このとき女王は70歳なので、孫にしては幼すぎます。曾孫のエドワード8世(王冠を懸けた恋のウィンザー公)かと思いましたが、ウィンザー公はまだこのとき生まれてません。
周知のとおりウィンザー公は王位を捨てた後、何の仕事もなく世界一ヒマな男になり、終生ビアリッツなどで社交に明け暮れることになります。
これはロマノフ朝のマリア皇太后(最後の皇帝ニコライ2世の母)です。皇太后は1907年にビアリッツを訪れました。この10年後に革命が起こり、マリアは黒海からイギリスに脱出し、故郷のデンマークで1928年まで生きました。ユル・ブリンナーの映画”追想”で、イングリット・バーグマン扮する”皇女アナスタシア”がコペンハーゲンで面会に行く”おばあ様”とはこの人のことです。映画の皇太后は本当の孫みたいにいってましたが、もちろん本当のアナスタシアはエカテリンブルグで死んでいます。
ロシア人にビアリッツは人気であったようで、1910年にはビアリッツのロシア人滞在者は1400人に達したそうです。
なじみある所では小説家ナボコフは少年時代の1907年と1909年にビアリッツに滞在しており(祖父はロシアの司法大臣という名家でした)、フランス娘コレットとの初恋を小説にしています。また日露戦争のポーツマス講和会議で小村寿太郎を翻弄したロシア全権ウィッテは引退後1912年にビアリッツで回想録を執筆しています。
なんとロシア人のビアリッツへの憧れは現在も続いているそうで、ロシアの金持ちはビアリッツの別荘を買いあさってるとか。プーチン大統領の別荘がビアリッツにあるのも公然の秘密だそうです(ロシア政府はプーチンの私生活を国家機密にして絶対に明かさない)。ちなみにプーチンの前夫人もビアリッツにウン億円の別荘を買ったそうで、これはネットで場所バレしています。